not studying English,but playing with English.〜英語の勉強はやめて英語で遊ぶことにした。

英語は勉強するものというより、遊び道具。

 

ということを考えたのでご愛読ください( ´ω` )/

 

 

 

日本人が大好き、英語。

 

何となく、英語を運用できる能力は

 

その人がいかにも賢そうに世間は見る。

 

真実は定かでないが、確かにその通りだと、英語を勉強している僕でもおもう。

 

しかし、その英語をしっかりと運用できるまでの勉強量というものは凄まじい。

 

実際のところ、英語を始めたのが100人だとすると、

 

とりあえずかなりお高く見られる資格の

 

英検1級まで頑張れる人はどのくらいいるのだろうか。

 

僕の見解では、0.001人くらいだと思っている。

 

決して非難するわけではないが、殆どの人が入試とともに、

 

SVOCなどは意味不明の記号の羅列となっているのだろう。

 

洋楽に触れるものも居るだろうが、

 

あれは外国人と話せる時になったら役にたちそうなものだ。

 

「外国人と話せるようになったら」という仮定が

 

「太陽が西から登ったら」といった状態になっている。

 

つまり、英語の勉強をやり続けれる人はほんのひと握りだということだ。

 

かくいう僕も最近挫折した。

 

予備校講師を目指して英語を勉強していたが、

 

その道の卵を立てるがごとくの不安定さに恐れをいだき、他の人に譲った。

 

しかし、僕の得意なものと言えば英語くらいなもの。

 

英検準1級は、初めて自分が自分の意思でとったもの。誇りに思う。

 

ただ、1級を目指すに当たっては

 

ガッキーと結婚できるほどのモチベーションが必要となってくるが、

 

予備校講師の道を他の人に譲った僕にはそれが特になかった。

 

そんな中、1ヶ月たってしまい、

 

僕の英語生命もここまでかと思っていたところ、

 

友達が留学にいきだし、彼との英語でのやりとりが始まったのは昨日だ。

 

最初はノリでやっていたつもりだったが、

 

思いの外おもろしろい。

 

日本語は浮かぶが、英語表現は恥ずかしがって隠れちゃう。

 

そんな時はインターネットという兵器を使って徐に暴き出す。

 

その作業が楽しくて仕方がない。

 

このように、勉強は辛いものに耐えて耐えて耐え抜くものだと感じていたが、

 

遊びの気持ちでやるとめちゃくちゃ楽しめると言うことを学んだ

 

楽しむことは私たちの唯一の義務であるのにこれを活用しない手はないだろう。

 

と僕は考え始める。

 

確かに、遊ぶためにもある程度の勉強は必要となる。

 

それが2割くらいで残り8割は遊んでいてもいいのではないかと、思う。

 

人間に我慢なんか続くわけがない。

 

let's playing with English!!!

 

読んでくれてありがとうございました!