受験について(就職編)

受験業界が好き

 

このような人はあまりいないような気がする

 

これ読んでる人もそうでない人の方が多そうだなって思います

 

何故好きかというと、普段何も考えずにダラダラ過ごす

 

という状況をぶち壊し、強制的に目標に向かって動かなければならない環境

 

だと考えているからです。

 

僕は基本的に真面目で、ふざけあう事はあまり好きじゃありません。

 

そう言ったノリというものがよくわからないか

らです。

 

しかし、受験になれば全員真面目で統一。

 

同じ目標(試験という)に向かって真剣に取り組まなければならないという状況になるからです。

 

そこには当然苦しみや挫折がつきまとう。

 

その中で闘い続けた者が目標を達成出来る。

 

これは、人生の縮図だと考えています

 

人は何か目標を定め、それに向かって努力し成長してく事で生きており、

 

死に向かっているのではないかと思っています

 

まぁ僕の受験観はこんな感じで、まだまだ意識の方に身体が追いついていないので、

 

受験生と共に成長していきたいと思っております

 

でー、就職のことについて考えなきゃ

元々教育関係興味があって学校の教員を考えていたんですけど

 

待遇や環境の面からどうしても耐えられそうにないと感じたと共に、

 

学校教育は様々な理由から否定派なので

 

向いてないと思いました

 

その理由はいつか書きます

それでも教育には興味があり、先程述べたように

 

受験に対しても関心を持っているので、「じゃあ業種は決まりじゃないか」

 

と、なるかもしれません(客観的に見れば)

 

しかし、そこには問題が。

 

というのも、この業種の都合上、働くのは基本的に夕方から夜まで。

 

僕は基本的に夜は弱い人間なので辛いったらありゃしない

 

と思っています。

 

また、そこは身体的に慣れて来るかもしれませんが、

 

結婚や出産した場合、そこへ割く時間はどのようにして出せばいいのか

 

という事も問題になってきます。

 

出産はともかく、結婚は是が非でもしたいので

 

考えものです。

 

また、少子化により子ども数が圧倒的に減る中で

 

食べていける職業なのかということも懸念の1つです。

 

「何を仕事にした所で不満はでる。」

 

全くもってその通りだと思います。

 

思っていたのと違うなんて21年も生きていれば当然のごとくあるし

 

最近はそれがある事が前提で生きるようになりました

 

そのため、今現在自分が考えられる楽しそうな職業を選ぶことが

 

天秤にかけた時に傾きそうな気もしますが、

 

やはりデメリットが気になる。

 

実際そう言った現場で働いている方達の話を聞いてみることが必要かもしれません。

 

色々悩むものですが、今後は悩むから考えるにシフトチェンジしていきます

 

頑張らない程度に成長していきます。

 

読んでくれてありがとうございました!

 

1時間の余裕

今日もバイト。これで何連勤目だろう。

 

まぁ、楽しいからいいけど笑

 

昨日はバイトのメンバーで飲み会でした。

 

ちなみにというか、当然僕は行きませんでした。←

 

おそらくバイトの飲み会は半分以上フケてます。

 

めんどくさいってのが1番の理由だと思いますが、

 

あのテンションの高い場所に居るのがどうしても苦手。

 

自分の存在が必要なく感じちゃうからですかね。

 

詳しいことはのちのちのブログに書きましょう。

で、今日のバイトは1時間遅らせてもらいました。

 

というのも、本来空いていた所にいれられた形なので、

 

出勤しなくてもいいと言えばよかったのですが、

 

「来たら救世主」との言葉に動かされ出勤するのとに。

 

しかし、流石に連勤することに戸惑いを覚えたため、

 

1時間遅らせて出勤すると交渉したところ、見事に勝ち取った時間。

 

何しようかな。

 

そんな事を考えているといつもの出勤準備する時間!

 

しかしまだ時間はある。

 

とりあえずそこら辺のランニングをした後、

 

ハード筋トレをして出勤。

 

何となく心の余裕があった事は言うまでもないでしょう。

 

1時間の余裕があるってのは嬉しいけど

 

慣れたらただ稼げ無くなるのでたまにでいいかと思いました。

 

明日もバイトです。

 

温泉入ってから行こうかなって思ったり

 

自己成長を試みようかなとか迷ったりしてます。

 

あ、就職に向けて勉強もしなきゃ。

 

って感じなってるんでこれからも頑張らない程度に

 

成長して行きたいです。

 

読んでくれてありがとうございました!

 

人の顔と名前

人の顔と名前を覚えるのが苦手だ。

これは誰もが言う。特に初めましての現場で。

 

1対1の場合でこれを言うと、相手に対して

 

「私はあなたの顔と名前を覚えない理由があります。」

 

と言わんばかりなので、直接言うことは無いのだが、

 

やはり、苦手なものは苦手なのでブログに描き綴ろうと思った。

先程「みんなも言う。」と言ったが、僕は大半の人より苦手だと思う。

 

その人に興味がないのか?

単純に記憶力の問題か?

 

塾講師として何十人もの生徒の顔と名前を覚えなければならないという

 

全くもって理不尽極まりないバイトをしているので、

 

これを克服すべく原因を考えてみた。

 

おそらく、僕の場合は「覚える気がない」に近いものだと思う。

 

しかし、これは癖であり、意識的にやっているものではないと思える。

 

というのも、僕は人間関係はできるだけ狭くてもいいと思っているし、

 

新しく出会う人には基本的には壁を作ってしまうからだ。

 

そうした事を21年間もしていると

 

無意識で働くこと請け合いなしだ。

 

 

「ーーー以上の理由により覚えられません!」

そう言ったら楽なのだが、そういう訳にもいかない。

 

じゃあ、どのようにしたら覚えられるのかな。

 

考えていくうえで1つの分かったのが、

 

極端に整っている人と極端にそうでない人は覚えやすいという事だ。

 

もちろん、そんな事で扱いを変えたりすることはないようにしているが、

 

こちらとしてはどちらかであるとありがたいと感じる。

 

僕は視力は悪い方ではなく、

 

メガネをかければ世界はクリアになるタイプだ。

 

そんな僕でも、視力ではないような目の悪さを感じる。

 

というのも、人の区別が中々つかないのだ。

 

特に女子。

 

おそらく、髪型も人を判断する要素として使っているのだろう。

 

全くもって違いがわからない。

 

茶髪パーマの女子大生みたいだ。。。

 

結局、間違えて間違えて何回も顔を合わせる以外に方法はないと思う。

 

 

僕は1発で人の顔と名前を覚えられるほど優秀じゃない。

 

そこまで優秀だったらブログのネタも無かったし、

 

考える機会もなかったので良かったということにする。

 

ではではこれで。

 

ありがとうございました!

 

環境

やっぱり環境は大事。

 

何をするに置いても大事なものは大事。

 

さっき、あるツイートを見ました。

 

要約するとIQが高く、学者意欲を高い青年が

 

学問に興味のない両親の元に生まれたために

 

専門学校に行くもスペックの違いにより4年課程を1年で終了。

 

就職するも学歴がないため、コールセンターなどに配属されたとのこと。

 

世間一般だと、「結局は自分しだいだ。」「本人に責任がある。」

 

と、言われるかもしれません。

 

しかし、僕としては同じ環境に陥った時に

 

果たして同じことが言えるだろうかと考えされられます。

 

 

ここで、環境の意味するところを見出していきたいと思います。

 

大きく分ければ物理的環境と観念・思想的環境に分けられると思います。

 

物理的環境に関して、具体的に言えば

 

生まれ育った場所や経済的発展などが挙げられます。

 

で、後者の観念・思想的環境について言えば、

 

親や周りの人間とのコミュニティの中で形成された1つの伝統

 

と言われるようなことが言えます。

 

で、この2つの観点から見た場合、私たちの多くは物理的環境は

 

必要最低限満たしているように思えます。

 

しかし、観念的・思想的環境についてはどうしても

 

気がついた時にはある固定の思想に固まっているという事が多い。

 

そのため、より良い環境を求め動くことはできるが、

 

しかしそれも元の環境の影響を受けているため、

 

結局は元々の環境が大事になってくると言えます。

 

何か哲学的になったような気がしますがそこまで

 

難解な論理ではないので

(むしろ穴だらけかもしれない..)

 

分かりみの深い方がいたら嬉しいです。

 

ってことで、今回はここまで!

 

読んでくれてありがとうございました!

 

一生懸命

 

「一生懸命は楽しい」

 

誰でも聞いた事のあるであろう言葉です。

 

経験的にもそう感じた事がある人も多いのではないのでしょうか。

 

僕はよく経験します。

 

その例が勉強。

 

高校生の頃は基本的に勉強した事がありませんでした。

 

というのも、先生が緩かったので、赤点だったとしても

 

単位はくれるのでホントに恵まれてました。

 

そんな事をしていると、当然、大学入試に置いて苦労します。

 

で、結局浪人生という道を歩みました。

 

その頃の後悔の念は言葉にできません。

 

浪人生は勉強が1日の中心です。

 

今を生きてる青年時代からしたら

 

もはや勉強が人生のようなものでした。

 

朝起きて、夜寝るまでずっっっっと勉強の事を考える日々。

 

その結果、見事に合格して今があるのですが、その時から僕の中で変化が。

 

「あれだけ嫌いだった勉強が苦もなくできている。

 

いや、むしろ楽しんでいるように思える!」

 

そうなっている自分に驚きを隠せませんでした。

 

ここから学び取った経験が、「一生懸命は楽しい」ということです。

 

それが、元々嫌いなものだったとしても、

 

一生懸命にする事で楽しみを見いだせるという事を学びました。

 

しかし、嫌いなものに取り掛かるのに一生懸命なんて辛いようにしか思えません。

 

どうしたらよいのでしょうか。

 

僕は2つの案を考えました。

 

1つは強烈なモチベーションを生み出すこと。

 

「お金持ちになりたい」だの「モテたい」だの

 

何でもいいので強烈な理由付をすること。

 

辛くなってくると、どうしてもやらなくてもいい理由を探しがちな僕達人間。

 

そんな時にそれを無くすのが強烈なモチベーションだと考えています。

 

多少の風には吹き飛ばされないようなモチベーションを持っていきたいですね。

 

2つ目に、「環境を整える」ということです。

 

今度具体的に書こうと思っているのですが、

 

「環境を言い訳にするな!」という論説には少し無茶振りな気がします。

 

それに関してはもう少し後ほど、、、、

 

で、話を戻すとやっぱり環境は大事。

 

主に人間関係が大事になってくると思います。

 

というのも、私を変えてくれるのは他者の存在による所が多いためです。

 

例えば、競うことで切磋琢磨できるし、共同作業としてお互いを支え合うことも出来ます。

 

 

 

こんな感じた、まぁ、最後らへん曖昧になっちゃいましたが、

 

ここら辺で!

 

P.S.を付けるなら、「人生を楽しみたいなら一生懸命は不可欠」ってことを入れたいですね!

(最後にいい感じのことを言う)

 

読んでくれてありがとうございました!

 

 

人と居ること。

人を遊びに誘ったのは何年ぶりだろうか。

 

次誘えることはあるのかな。

 

そんな事を考えならが風邪を引いた体でベッドに吸い込まれています。

 

最近出勤が多すぎてホンマに体を壊しかねない‪笑

 

睡眠時間よりも働いている時間の方が多いんだもの。。。

 

まぁ、そんなことは置いといて。

 

とりあえず今日ごはんに行った話。

 

チェーン店は飽きていたので、個人店行くことに。

 

名前、なんていったかな。

 

僕は基本的にどうでもいい話は嫌いです。話すことも聞くことも。

 

そういった話はTwitterやブログで終了させろと思います。

 

そのため、そういった話になると右から左に流れていき、

 

何も頭に残らないので、より面白くなく感じます。

 

まぁ、それは誰しもなので人間関係を保っていくのには仕方ないと感じているところ。

 

今日の友人も例外ではありません。

 

しかし、今日の友人との会話のようなお互いの何かを知り合うような話は好きです。

 

どんな話だったかな。

 

「仲良い先輩に敬語を使うかどうか」

 

って話をしたような気が..思い出したらくだらないような..

 

もっと、今のバイト先や生徒に対してのお互いの考えだった!

 

いつも合わないなーって思ってるけど、

今回も合わなくてそれでも楽しかったです。

 

何が違ったのかな。

 

お互いを尊重したコミュニケーションだったからかな🤔

 

 

僕のいつも仲良い友達は(お互いにお互いを)誘えるという理由で一緒にいるような気がします。

 

別にそれ自体は悪いことではないかと思いますが、

 

あまり楽しいものではありません。

 

もっと、楽しく過ごせる友人を選ぶべきなのか。

 

いや、その友人が悪いというより、1対1でずっと居ることが問題なのかな。

 

人のせいにするのはやめましょう。笑

 

ってな感じで起承転結も論理関係もハチャメチャな文章になっちゃいましたが、

 

やっぱり人と居ることは大切。

 

もっと言えば、できるだけ自分が考えている事を話、

 

相手からの反応をもらう(人の目を気にするという意味ではなく)ことで、

 

自分を俯瞰して見れるのではないかと思いました。

 

何だか意識が高そうやね。

 

とりあえず今日はここまで!

 

読んでくれてありがとうございました!

 

 

読書って偉いの?

 

 今日は少し毒舌。

 

不快に思われたかた申し訳ありません。

(先に言うスタイル)

 

昨今、活字離れ率の増加により、

 

本を読む人が偉いというような風潮になっている気がします。

 

僕はこれに疑問を呈し、考えていきたい。

 

確かに本を読む人は何か忍耐強く知的な人というイメージがわきます。

 

しかし、本当にそうでしょうか?

 

中には見栄えや上記のように見られたいと思っている人も多いと思います。

 

また、100歩譲って、他人からの承認があったとしても、

 

自分でそれを偉いと思うことには抵抗を感じます。

 

というのも、元々誰に頼まれた訳でもないものを1人でやっているわけですし、

 

我慢してまでやる事でもないことだと思うからです。

 

また、Twitterでよく見る、自称本好きの大半は軽いビジネス書や自己啓発本など

 

読み物として軽いものばかりが見られます。

 

別に、そういったものを読むのがダメ!

 

というつもりは毛頭ありません。

 

しかし、そんな軽い本ばかりを読んで読書好きをアピールするのは如何なものでしょうか。

 

そして、さも私は知的だとばかりに豪語し、

 

他人に読書の大切さを説くのを見ると驚きを隠せません。

 

他者承認欲求と言えばそれまでですが、

 

それを偉いとしていく風潮には改めて疑問を覚えます。

 

ってことで、今日のブログでした。

 

読んでくれてありがとうございました!